2011年(平成23年)3月11日、
【巡視船きたかみ】が遭遇した津波の動画を文字起こししました。
はじめに
2011年(平成23年)3月11日。
東北地方太平洋沖地震の発生から30分以上が経過した15時20分頃。
岩手県釜石湾で【巡視船きたかみ】が苦闘していた頃、陸上の【釜石海上保安部】にも津波が押し寄せていました。
さらに【第二管区海上保安本部】が所在する宮城県塩竃市にも津波が到達。
この東北地方全体を管轄する本部庁舎も被災したことで、混乱に拍車がかかります。
そのため各自が手探りで応急活動を始めることになりました。
それはまさに海上保安庁の総力を挙げた”国難との戦い”の始まりだったのです。
忘るまじ東日本大震災-1
第二管区海上保安本部 警備救部長(当時)還暦を過ぎ、物忘れがひどくなっても、11年前の2011年3月11日のことは、鮮烈によみがえってきます。
庁舎3階で会議中、出席者の携帯電話から緊急地震速報の警報音が鳴り響き、3分余りの激しい揺れが収まると「津波が来るぞ!」と叫びつつ、7階の運用司令室に駆け上ったところから国難との闘いが始まりました。1449(14時49分)に発出された6㍍の大津波警報が1514に10㍍に更新され、1552に相馬沖の巡視船「まつしま」から10㍍級の津波を目撃したとの無線連絡を耳にした頃には、既に沿岸部は壊滅的被害を受けていました。
(公財)海上保安協会『海上保安新聞』短期連載
近藤悦広「忘るまじ東日本大震災」
元:第二管区海上保安本部警備救難部長(最終:海上保安学校長)
さて。
前回は【きたかみ】が防波堤を越えて湾外に出ていくまでを確認しました。
今回は別の報道機関が編集した動画を用いて、その後の様子を追いかけていきます。
14時46分から15時24分までの推移
14時46分
東北地方太平洋沖地震 発生
15時20分
釜石海上保安部の屋上退避
15時23分
湾口北防波堤の水没を視認
15時24分
余震が続くなか、防波堤を通過。
ジャイロコンパスの変調に気づく。
《以下、今回の動画内容に続く》
【動画】巡視船きたかみ、 釜石港を襲う津波の中緊急出港/神奈川新聞
↓デフォルトで2:05から始まる設定としています
東
↑
北防波堤 赤色灯台 【巡視船】 白色灯台 南防波堤
(左転)取舵 舵中央 面舵(右転)
15時24分 防波堤通過とジャイロの変調
本船ただ今、
防波堤を通過。
いや、あのー
ただ今の時刻25…、
ジャイロ***、
50度ぐらいで***ます。
―50度。
…15:24。
んー?
なんか…
ジャイロおかしいよね。
おかしいっすね。
おかしいだろ?ジャイロ。
でまた、
うん。
じゃ50度願います。
―はい。
…潮引いとるじゃないか。
(こりゃすごいわ。)
いつもの、いつもの***海岸の線が、
海岸線が出て
あれ防波堤って壊れた?
壊れてる、壊れている。
左も壊れてる。
壊れました。
左も壊れました。
翼角10度!
―翼角プラス10度。
メールは、
メールだけは使える。
各人、各家庭に確認のほど…
船長!
15時26分 湾外へ脱出完了
これより湾口南防波堤の撮影に入る。
ただ今の時刻15:26。
ただ今引き波により潮が引いた状況。
タケダ。
―はい。
左後ろから***
戻せ。
―もどーせー。
もう一回お願いします。
―舵中央。
岸壁、南防波堤撮ってくれ。
―はい。
宮城沖地震でねえのか?な?
うーん。
地震と津波と、
第一波とどれくらいで(どこで?)ぶつかった?
―17分。
17分。
―はい。
15時30分 釜石市内への浸水
えーこちらですね。
えー、わん…湾外に出ました。
えー今、
尾崎(尾崎半島)、先端の状況。
ただ今の時刻15:30。
【釜石海上保安部からの通信】
****(聴取不能)
本船からも、
チャンネル16(略)で呼んだんですが、
しおがまほあん出てきません。
どうぞ。
釜石市内、えー完全に防波堤を、
防潮堤を越えて釜石市内は水の下に、
消えている。
うわぁ…
えーと市内は水の下になり、
引き波で今どんなんなってんでしょうか?
どうぞ。
引き波で…、
引き波で波が出て行ってる状況です。
大きな滝のような***
街さ入ったって?水。
―水浸しです。
ほんと。
―了解。
防潮堤を超えてる、
だから車もうダメですわ。
湾口防波堤もところどころケーソン…
15時33分 さらなる沖合へ
現在、釜石湾北の状況。
現在の時刻15:33。
現在、
第二波の引き潮がやって来ており、
第一波よりかなり引いております。
さらに高い津波と思われます。
どうぞ。
今、第二波来たっていうんだろ?
―今引いてる状態。
引いてる状態?
―第一波より。
あー第一波より引いてる。
湾口防波堤、
ほとんど損壊状態。
外資船(?)が一隻流れて
湾口防波堤にぶつかっております。
あー現在港内約10隻、
他ブロック(?)含め約10隻避難中。
こちらは巡視船きたかみ。
釜石保安部、
巡視船きたかみです。
付近の船舶、
聴こえたら聴取願います。
津波の第一波の引き波が
現在観測されてます。
第二波・第三波が来る
おそれがあるので、
水深200m以上の沖合に
避難してください。
こちら釜石海上保安部、
巡視船きたかみ。
以上。
《おわり》
予想されていた宮城沖地震
ここからは乗組員たちの言葉に注目していきます。
まずは15時26分頃、
防波堤を通過して湾外へと逃れた後。
業務管理官と思しき年配の職員がつぶやきます。
宮城沖地震でねえのか?な?
これは今起きたのは宮城沖地震ではないのか?…という推測です。
この「宮城沖地震」あるいは「宮城県沖地震」とは、政府の中央防災会議が将来起こり得るとして想定した地震の一つです。
中央防災会議
「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」について・本専門調査会の経緯及び目的
日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会 : 防災情報のページ – 内閣府 (bousai.go.jp)
日本海溝・千島海溝周辺ではマグニチュード7や8クラスの大規模地震が多数発生し、1896年の明治三陸地震では約2万2千人の死者が発生するなど、主に津波により甚大な被害が発生しています。
当該地域で発生する地震は、プレート境界で発生するものやプレート内部で発生するもの、揺れは小さいが大きな津波が発生するものなど、さまざまなタイプがあり、約40年間隔で繰り返し発生する宮城県沖地震などについては切迫性が指摘されています。
これに関して被害想定書が発表されたのが2006年(平成18年)1月25日。
2011年東日本大震災の5年前のことです。
この想定にもとづき東北地方では様々な防災訓練が行われていました。
後に有名になったものとして、震災の3年前に陸上自衛隊が実施した震災対処訓練があります。
そしてこの【みちのくALERT2008】と名付けられた大規模訓練には海上保安庁も参加しています。
東北方面隊震災対処訓練
「みちのくALERT2008」
~マグニチュード8.0、震度6強、大津波発生!~東北方面隊は10月31日~11月1日の間「東北方面隊震災対処訓練『みちのくALERT2008』」を行った。
これは、近い将来高い確率での発生が予想されている宮城県沖地震への対処能力向上を目的に、東北方面隊全部隊はもとより、他方面隊等、施設学校、海・空自衛隊並びに岩手県宮古市から宮城県岩沼市までの太平洋に面した24自治体(宮城県、岩手県含む)、防災関係35機関並びに一般市民を含めた約1万8千名が参加するとともに、被害が予想される現地において訓練するなど、今までにない規模・内容となった。◆他機関との連携 ※当該HPは既に削除されており、キャッシュから引用した。
みちのくALERT2008|東北方面隊Web (archive.org)
こうした知識や経験があったことから、
【きたかみ】船長も発災直後に「とうとう来たか」と思ったことを述懐しています。
釜石港で大津波に遭遇
釜石海上保安部 巡視船きたかみ船長「地震だ!」しかも長い。
日本海難防止協会情報誌『海と安全』2012春№552
一瞬「とうとう来たか」。
99%の確率で発生すると言われていた宮城県沖地震だと確信した。これ程の地震では間違いなく大きな津波がくると思い、急いで船橋に上がり「燃料搭載止め、出港用意」を令した。
【特集】3.11 巨大地震と大津波の教訓を伝える
海と安全552表1-4.indd (nikkaibo.or.jp)pdf
つまり船長を始め、
東北の海上保安官にとって地震の発生は予想されていたものでした。
しかし、
業務管理官のあいづちを促す声の後に、誰も応える者がいません。
―なるほど、
これが予想していた巨大地震には違いない。
―だが、これほどとは…。
おそらくはそんな思いが乗組員たちに去来し、絶句するしかなかったのではないでしょうか。
結果として、
この地震は想定をはるかに上回る甚大な被害を及ぼします。
ただし、この時点でその全容を見通せる者は誰もいませんでした。
管区本部との無線不通
①チャンネル16・12の意味
15時30分、
船の進行方向右側に伸びる尾崎半島の先端を撮影している頃。
きたかみ通信科員(船艇職員)が釜石海上保安部(陸上職員)と交信しています。
本船からも、
チャンネル16で呼んだんですが、
しおがまほあん出てきません。
どうぞ。
短いセリフですが、
ここのセリフは重要な事実を伝えているので詳しく解説します。
第一に、
「チャンネル16」とは国際VHFシステムにおける通信チャンネルを指します。
国際VHFは超短波(Very High Frequency)の周波数帯を用いた、船舶航行のために使用される無線通信システムのこと。
同システムは全世界で一般的に使われていることから「国際VHF」と呼ばれているそうです。
さらに国際VHFには通話相手や使用目的ごとにチャンネルが設定されています。
ch16 | 一般呼出・応答用 | 遭難・緊急または 安全のための呼出・応答 および通報のために使用 |
ch12 | 用途別通話用 | 海上保安庁の海岸局と 通話するために使用 |
ここで使われた「チャンネル16」は交信相手を呼び出したり、それに応答するための一般通信用のものです。
そして、引用した神奈川新聞版では編集によりカットされていますが、ここのセリフの全容は次の通りです。
「本船からも、
チャンネル16・チャンネル12で
呼んだんですが」
海上保安官が見た
巨大津波と東日本大震災復興支援
(海上保安庁DVDシリーズVol.1)より
このチャンネル12とは海上保安庁と通話するための専用チャンネルです。
②しおがまほあん の意味
次に、
「しおがまほあん」とは、
第二管区海上保安本部:警備救難部:救難課運用司令センターのこと。
ここでは端的に宮城県塩竃市の管区本部のことだとご理解ください。
というのも、
このセリフは陸上職員からの「現在の状況を二管本部に報告してほしい」という旨の要請に対する応答だからです。
(要請部分については編集カットされている)
海上保安庁海岸局の配置状況
平成23年4月1日現在 第六管区情報通信管理センター情報通信課
*23-04-06mametisiki.pdf (mlit.go.jp)pdf
『六管豆知識(第7回)海上保安庁が行う海上保安通信について』平成23年4月28日 より一部抜粋強調
以上をまとめると、
【巡視船きたかみ】から
【第二管区海上保安本部】へ
一般・専用通信で呼びかけたが、
応答がない
…ということを陸上職員に報告している状況なのです。
③通信の途絶が意味するもの
さて。
改めて通信状況を整理してみましょう。
15時20分、
陸上職員が屋上に退避する間、【きたかみ】と【釜石海上保安部】との通信が一時的に途絶。
15時30分には退避完了した陸上職員との通信が回復。
しかし、【釜石海上保安部】と【第二管区海上保安本部】との連絡は途絶したままだったようです。
このため陸上職員は【きたかみ】からも本部へ通信を送るよう要請したというわけです。
実際に、
発災直後をふり返る証言によると、この頃の管区内の通信系はかなり乱れていたようです。
証言①
きたかみと釜石海上保安部
世界は一変していた
釜石保安部 管理課総務係専門員非常用発電機は津波で使用不能となってしまったので携帯用の発電機を起動し、沖に避難していた巡視船「きたかみ」や「きじかぜ」と無線で連絡できたが、他の地域や部署の状況がまるでわからないままだった。
(財)海上保安協会編著・海上保安庁協力
携帯電話のワンセグ放送だけは写っていたので、そこから少ない情報を得ていた。
『東日本大震災 そのとき海上保安官は』成山堂書店 2012.3.11 p23
証言②
釜石海上保安部と二管本部
シナリオのない対応の始まり
二管本部3月11日は、これまでにない強い揺れに二管本部の(略)警備救難部 救難課長(略)は庁舎7階のオペレーションルームに駆け込んだ。
(財)海上保安協会編著・海上保安庁協力
“スイッチ”が入り、「警戒警備発令」「巡視船艇・航空機、救難速報体制」など訓練通りに次々と指示を出したが、間もなく各部署からの連絡が途絶え、断片的な情報しか入らなくなった。
電話だけではなく無線も通ぜず、海上保安庁通報番号「118番」もダウン、宮城県庁との防災無線だけがかろうじてつながっていた。
シナリオのない対応の始まりだった。
『東日本大震災 そのとき海上保安官は』成山堂書店 2012.3.11 p44
(一部抜粋)
当時、被災により庁舎の下層階が壊滅的状況となった海上保安部署は次の通り。
・宮古海上保安署(岩手県宮古市)
・釜石海上保安部(岩手県釜石市)
・気仙沼海上保安署(宮城県気仙沼市)
・石巻海上保安署(宮城県石巻市)
・仙台航空基地(宮城県岩沼市)
その他、浸水があったのは2か所。
・八戸海上保安部(青森県八戸市)
・福島海上保安部(福島県いわき市)
参考文献:第二管区海上保安本部 資料
『東日本大震災への対応~第二管区5年間の対応、あの日を忘れないために~』pdf
結局、
太平洋沿岸の部署において、比較的無事だったのは二管本部や宮城海上保安部が入居する庁舎くらいのものでした。
このような状況だったため各地との通信が次々と不能となっていったのです。
そして同時に、
これはこの地域の船舶にとって、帰るべき港の喪失を意味します。
再び動画の続きを観てみると、「(津波が)防潮堤を越えて釜石市内は水の下に消えている」との情報が船内にもたらされます。
後ろで聞いていた乗組員からは「うわぁ…」とうめくような声も。
しかし、
海上保安庁職員には立ち止まっている暇はありません。
なぜならこの時、
【きたかみ】の背後には同じく避難してきた船舶が続いていたからです。
巡視船きたかみ に続け!
こちらは巡視船きたかみ。
釜石保安部、
巡視船きたかみです。付近の船舶、
聴こえたら聴取願います。
15時33分、
付近の船舶へさらに沖合へ向かうよう呼びかけています。
また、この呼びかけの前に「港内の約10隻が避難中」とも報告しています。
それではこの時の【きたかみ】の周囲はどんな様子だったのでしょうか?
これを示す陸上からの視点を3つご紹介しましょう。
①【NHKアーカイブス】記録映像
『NHKニュース 3月11日 15時11分』
※この動画は東日本大震災の翌日、2011年3月12日のNHKニュースで放送されたもの。映像は3月11日の様子を伝えている。
釜石市内から海を撮影した映像の中、0:19あたりで【きたかみ】が映っています。
「波!波来た!」と叫ぶ子供の声とともに、画面左から白い船が出ていくのがわかるでしょうか。
映像は不鮮明ですが、船首のS字章や全体のシルエットから【きたかみ】と推定されます。
このときNHKカメラマンが現在時刻は15時14分だとリポートしています。
②東北地方整備局【震災伝承館】記録写真
出典:東北地方整備局 画像番号213304 撮影日時:2011:03:11 15:30:51
震災伝承館 詳細ページ (infra-archive311.jp)
画像所有者:岩手県建設業協会
※当該写真は東北地方整備局の使用許諾を得ています。
出典:東北地方整備局 画像番号213306 撮影日時:2011:03:11 15:32:19
震災伝承館 詳細ページ (infra-archive311.jp)
画像所有者:岩手県建設業協会
※当該写真は東北地方整備局の使用許諾を得ています。
国土交通省:東北地方整備局が収集した震災写真の中に【きたかみ】が写っています。
※なお、写真撮影日時が他の証言と少し相違しています。
これはおそらくデジタルカメラ内の時計を元にした情報と思われ、海上保安官およびNHKカメラマンの読み上げ時刻の方が正確ではないかと考えられます。
これら二つの一部を拡大し、画像処理を施してみたのがこちら↓
写真にはタグボートと漁船、
そして岩手県水産技術センターの漁業指導調査船【岩手丸】も写っています。
(2枚目:きたかみ船首に並ぶ白い船)
③岩手県水産技術センター写真
岩手県水産技術センターの被災当時の状況
「令和4年度 全国水産試験場長会全国大会」資料より
【全国水産試験場長会】 |全国大会| 令和4年度全国水産試験場長会全国大会(富山) (hro.or.jp)
4 情報交換(震災からの復旧状況)pdf
こちらは【釜石海上保安部】の所在地区のとなり、平田地区にある【水産技術センター】屋上から撮影されたものです。
この資料によると、
【きたかみ】が津波により左右にふらつき、後続した【岩手丸】なども湾口を通過できない状況であったとのこと。
ただし、
写真にも写っているタグボートも津波に押し負けています。
タグボートは巨大な船を押し曳きできる強力なエンジンを積み、小回りも効く船です。
しかし、
それですら脱出不可能であったことを考えると、仮に【岩手丸】が湾口に先行したとしても同様の結果だったと私は考えます。
④船長の回顧
以上の推移を船長は次のようにふり返っています。
「きたかみ」の動向を参考にした他船
15時25分、本船はその引き波と一緒に無事港外へと出ることが出来た。ホットした後、本船の後方を見ると7~8隻の船舶が続いているのが確認された。
後日、本船の後に続いて港外に出た船舶の関係者と話をする機会があったが、「きたかみ」が港口を目指したから、我々も出られると思い、後に続いたとの話があり感謝の言葉を頂いた。あの津波来襲という極限状況の中で、他の船舶が「きたかみ」の動静を見ており本船が少しでも安心感を与えたかと思うと感無量である。
日本海難防止協会情報誌『海と安全』2012春№552
【特集】3.11 巨大地震と大津波の教訓を伝える
海と安全552表1-4.indd (nikkaibo.or.jp)pdf
このように一隻の巡視船が、港内にいた他船の避難行動の指針となりました。
さらに、
再び動画の内容に戻ると、こうした後続船たちに「推進200m以上の沖合へ」と呼びかけていたのだと理解できます。
ここで動画は終わりますが、
この後【きたかみ】は生存者の救助・行方不明者の捜索などに当たっていくのでした。
釜石港湾の破壊と庁舎の被災
それではここで一旦、全体状況を俯瞰しておきます。
まず地震発生の14時46分。
【きたかみ】は釜石港の定係地に停泊しており、震源地からは直線で約155kmの所にいました。
なお、
同時刻【まつしま】も福島県相馬市の相馬港で停泊中で、両船ともに発災後直ちに緊急出港しています。
さらに【きたかみ】がいた釜石港の詳細を見てみましょう。
湾の奥に釜石海上保安部があり、【きたかみ】もその付近に停泊しています。
そして、この釜石湾にフタをするように二本の堤防が南北から伸びているのがわかるでしょうか。
これが「釜石 湾口防波堤」であり、それぞれ北防波堤・南防波堤と呼ばれています。
ちなみに二つの防波堤の間の空間は300m。
【きたかみ】はこの隙間から、引き波のタイミングで一気に駆け抜けていったというわけです。
湾口防波堤の被災から復旧まで
国土交通省 釜石港湾事務所
180424_press-kanseishiki.pdf (mlit.go.jp)pdf
『釜石港湾口防波堤完成式のお知らせ~湾口防波堤復旧工事完了~』
平成30年4月24日
【きたかみ】が防波堤を通過する際に、進行方向左手側に映っていたのが北防波堤。
突端の赤色灯台は傾き、土台となるケーソンもむき出しとなっています。
一方、
【釜石海上保安部】が入居していた港湾合同庁舎の状況もご覧の通り↓
出典:東北地方整備局 画像番号213417 撮影日時:2011:03:11 16:03:25
震災伝承館 詳細ページ (infra-archive311.jp)
画像所有者:岩手県建設業協会
※当該写真は東北地方整備局の使用許諾を得ています。
出典:東北地方整備局 画像番号213443 撮影日時:2011:03:11 16:18:42
震災伝承館 詳細ページ (infra-archive311.jp)
画像所有者:岩手県建設業協会
※当該写真は東北地方整備局の使用許諾を得ています。
【釜石海上保安部】は庁舎の2階と4階に入居していました。
2階には【巡視艇きじかぜ】の船艇待機室や倉庫があり、4階が執務室フロアだったようです。
そして津波は2階にまで押し寄せましたが、屋上に退避した陸上職員らは無事でした。
釜石港湾の復旧とその後
さて。
【きたかみ】が基地である釜石港に着岸したのは3月29日(火)のこと。
実に18日間もの間、清水と食料をやりくりしながら行動し続けたのです。
そして庁舎が被災した【釜石海上保安部】も、市内:上中島町の新日鉄釜石健康センター内に移転しました。
(同センターの建物は現存しない)
その仮庁舎で業務を継続すること2年。
2013年(平成25年)2月4日に港湾合同庁舎が復旧し、元の場所へと戻っています。
一方、
破壊された湾口防波堤の再建は、震災翌年の2012年(平成24年)2月26日から開始。
これは2018年(平成30年)3月31日までの、6年もの歳月を要する壮大な復旧事業となりました。
そして。
防波堤のほぼ完成を見届けた同年2月5日に、【巡視船きたかみ】は解役を迎えたのでした。
「きたかみ」37年の役目終える、
震災不明者捜索に貢献
〜釜石海保 巡視船解役式、新船と交代
2018/02/16耐用期限に達した釜石海上保安部(吉本直哉部長)の巡視船「きたかみ」(325トン、西村美徳船長ら22人乗り組み)の解役式は5日、係留地の釜石港専用桟橋で行われた。
吉本部長は式辞で
「きたかみ」37年の役目終える、震災不明者捜索に貢献〜釜石海保 巡視船解役式、新船と交代 | かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす (en-trance.jp)
「昼夜を分かたず東北の海を守ってきた。その間、海難362件に対応し、196人を救う輝かしい実績を残した。
『海のつわもの』の長年の労をねぎらい、その誇りは2代目の『きたかみ』に引き継ぐ」と述べ、決意を新たにした。
『復興釜石新聞』2018年2月10日発行 第663号より
おわりに
さて、
【巡視船きたかみ】動画はいかがだったでしょうか。
おそらく湾内で翻弄されるシーンは多くの方がご覧になったことがあると思います。
乗組員たちが辛くも危機を切り抜けていく様子は緊迫感があり、見ごたえも十分です。
しかし、
私はこの動画のハイライトは湾外へ脱出した後、つまり今回の後半シーンの方ではないかと考えています。
もたらされる市内の状況、
交信不能となった本部、
破壊された防波堤。
それらを俯瞰的にながめるとき、乗組員らを襲った絶望感を推察することができます。
そして、まさにこの動画が終わったときから彼らの震災対応が始まったのだと思うと感慨深いものがあります。
改めて今回の【きたかみ】と、
前回の【まつしま】動画には多くの考察すべき余地が残されていると感じます。
これらは決して単なる”脅威の迫力動画”として消費されるにとどまるべきではありません。
東日本大震災から10年以上を経過してなお、両動画は検証されるべきだと考えます。
しかしながら、
私は海技資格を有する者ではなく、操船の経験もありません。
したがって不備・不十分の点もあると思われ、有識者・経験者のご指摘や考察をお待ちする次第です。
そして、
当該記事が次世代の方へ何らかの学びを残すことができたなら幸いです。
海上保安庁広報誌『かいほジャーナル』第60号 PM02きたかみ
[特集 釜石海上保安部]より
かいほジャーナル|海上保安庁 (mlit.go.jp)
kaiho-journal60.pdf (mlit.go.jp)pdf
【動画の出典等について】
元の動画は現在でも海上保安庁HPに掲載されています。しかし動画拡張子が古くなっているせいか、現在のPCでは正常に再生することができません。
そこでYouTubeにアップされている『産経新聞版』と『神奈川新聞版』を掲載しています。
いずれも編集により一部カットされているため、全容について両方を視聴いただければ幸いです。
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