亀田晃尚著
『未完の日本海軍 戦後の吉田路線と海上保安庁』を読みました。
その感想と書評です。
はじめに
今年、
2022年(令和4年)は戦後77年目の年です。
海上保安庁の発足からは74年目。
海上自衛隊の元となった、
【海上警備隊】が海上保安庁内に設置されてからは70年目になります。
日本海軍が戦後に解体された後、
海上保安庁と海上自衛隊はどのようにして生まれたのでしょうか?
これを知るための画期的な書籍が発売されたので、さっそく読んでみました。
本と著者の紹介
タイトル | 未完の日本海軍 戦後の吉田路線と海上保安庁 |
著者 | 亀田 晃尚 |
出版社 | 三和書籍 |
書店 発売日 | 2022年6月29日 |
定価 | 2970円(税込み) |
装丁 | A5判 248ページ ソフトカバー |
著者プロフィール
未完の日本海軍 | 三和書籍 (sanwa-co.com)
博士(公共政策学)
1971年、福岡県生まれ。
1993年、海上保安大学校卒業。
尖閣諸島の領海警備などの様々な海上保安業務に従事。
勤務の傍ら、法政大学経済学部経済学科(通信教育課程)卒業、 放送大学大学院社会経営科学プログラム修了、法政大学大学院公共政策研究科修了。
2020年、法政大学で博士号(公共政策学)を取得。
日本政治法律学会、日本国際政治学会、日本政治学会 日本法政学会会員。
著書に「尖閣諸島の石油資源と日中関係」(三和書籍 2021年)「尖閣問題の変化と中国の海洋進出」(三和書籍 2021年)。
著者:亀田氏について
著者は海上保安大学校を卒業した元海上保安官の方です。
年齢は2022年に51歳になられるようです。
現在の在籍が海上保安大学校なのか、法政大学なのかは不明です。もしかしたらそれら以外の立場で研究されているのかもしれません。
本来、
研究内容と研究者自身は切り離してとらえるべきだとは思います。しかし著者の幹部海上保安官としての経歴や研究者としての立場がやはり気になるところです。
なお、
既に尖閣諸島関係で2冊の著作を出されています。
こちらもいずれ読んでみたいと思います。
対象となる時代範囲
本書では海上保安庁・海上自衛隊の創設史を追いながら、日本の海上における国家権力の行使の在り方について分析しています。
そして、
分析の対象となる時代範囲はおおよそ次の6つに分けられます。
①戦前~1945年8月15日
日本海軍が海上保安の主体であった時期。
②1945年8月15日~1948年5月1日
(約2年8か月間)
海上保安の主体なき時期から、
海上保安庁の創設まで。
③1948年5月1日~1952年4月26日
(約4年間)
海上保安庁創設から海上警備隊設置まで。
海上保安庁のみが海上保安の主体であった時期。
朝鮮戦争における掃海任務参加。
④1952年4月26日~1952年8月1日
(約3か月間)
海上警備隊設置から保安庁・警備隊発足まで。
海上保安庁内に海上警備隊が置かれていた時期。
⑤1952年8月1日~1954年7月1日
(1年11か月間)
保安庁・警備隊発足から海上自衛隊発足まで。
保安庁内に海上公安局を置くとした、
海上公安局法が制定されるも未施行。
海上保安の主体が2つに分かれた時期。
⑥1954年7月1日~
海上自衛隊の発足以降。
防衛庁設置法の施行により海上公安局法は廃止。
画期的な点①
本書の画期的な点は、
海上保安庁の創設史に関する研究が
一般書籍として公刊されたこと。
…だと私は思っています。
まず、
日本海軍や海上自衛隊に関する書籍は数多く発行されています。
しかし、
海上保安庁に関する書籍はそれにくらべて、はるかに少ないと私は感じていました。
とりわけ海上保安庁創設の前後については、大久保武雄『海鳴りの日々』の記述に頼ることが多かったと思います。
『海鳴りの日々』は初代長官の回顧録であり、海上保安庁の歴史を知る上で外せない一冊です。
しかし、
記述の範囲は自身が長官として在任していた期間で終わっています。具体的には朝鮮戦争勃発時における機雷掃海任務終了後の時期までです。
したがって、
『海鳴りの日々』の中ではその後の【海上警備隊】設置に至る経緯などは書かれていません。
同様に、
城内康伸『昭和二十五年 最後の戦死者』も、機雷掃海任務について取り上げたものなので、その前後史については触れていません。
これら以外には、
海上保安庁の『十年史』や『海上保安庁の思い出』などがありますが、一般書店に流通していた本ではありません。
その一方で、
海上自衛隊創設については「日本の再軍備」という観点から、多くの書籍が刊行されています。
たとえば、
手塚正己『凌ぐ波濤 海上自衛隊をつくった男たち』では主として旧海軍軍人らの視点を通じて歴史が語られています。
そもそも海上警備隊と保安庁・警備隊は海上保安庁から分離独立するように誕生した経緯があります。したがって海上自衛隊の歴史を語る際には海上保安庁のことにも触れる必要があるのです。
しかし『凌ぐ波濤』のように、
その多くは旧海軍軍人側=海上自衛隊側の視点から語られています。
つまり、
海上保安庁史は、
海上自衛隊史研究の一環として語られることが多かった。
…と私は思うのです。
これに対して、
本書はどちらかと言えば海上保安庁側に軸足を置いた内容となっています。
ただし、それは著者が意図したものではないかもしれません。
とはいえ、
『海鳴りの日々』以外に長らく海上保安庁史を語る一般書籍が少ない中で、本書が発売されたことは非常に画期的だと言えるでしょう。
その他、
本書は研究書であるため多くの引用があり、末尾には参考文献が掲載されています。これらは今後の海上保安庁史研究のためのデータベースとして利用されることでしょう。
こうした点にも本書が発行された意義があると私は考えています。
画期的な点②
本書では衆議院・参議院における政治家・閣僚らの発言を丁寧に収録しています。
第一に、
海上保安庁内に【海上警備隊】を設置するための『海上保安庁法の一部を改正する法律』の審議過程。
第二に、
総理府の外局【保安庁】内に【海上公安局】を設置することを定めた『保安庁法』と『海上公安局法』の審議過程。
いずれの場でも憲法第九条の規定の下、
海上において他国と主権が衝突した場合に、どのように対処するかについて議論が交わされています。
私がとりわけ印象的だったのは、
1952年(昭和27年)6月7日に参議院:内閣・地方行政連合委員会で行われた野党:改進党の三好始議員による大橋武夫 国務大臣(警察予備隊担当)への質疑です。
これは同年4月に海上保安庁内に海上警備隊が設置された後、海上公安局法案の審議過程でのものです。
三好始議員が、
「外国から侵略を受けたものを排除する国の行為は、国内法秩序の問題であるか、国際法秩序の問題であるか」と大橋武夫大臣に問いただしました。
これに対して、
大臣は次のように答弁しています。
大橋武夫
国務大臣(警察予備隊担当)
一体この森羅万象を二つに分けまして、
この事柄については国際公法が適用になる、この事柄は国内法上の問題である、
こういうふうに区別することは、実際上の問題としては適当でないような気持ちがいたすのでございます。
すなわち
事実はすべて単なる事実でございまして、
これを国際法上の視野から見ました場合には、そこに一つの国際公法上の法律関係が成立いたすのでありまするし、同一の事実を国内法上の視野から見ました場合においては、そこに国内法上の一つの法律関係というものが成立してくる、
こういうふうに法律関係を理解すべきものであると私は考えておるわけでございます。
従いまして、
外国軍隊の侵略というような一つの国際的事実でありましても、侵略された国の側から見まするというと、これに対して一つの国内法上の視野からする観察ということは当然可能であるわけでございまして、
かように見た場合において、これに対処するその国の行動が一つの軍事行動にあらずして警察行動である、こういうふうに見るべきものである、又そういう場合もある、こう私は考えているわけでございます。※読みやすいように原文を適宜改めています。
第13回国会 参議院 内閣・地方行政連合委員会 第9号 昭和27年6月7日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム シンプル表示 (ndl.go.jp)
この大臣答弁について著者は、
「国家管轄権の対立が生じやすい海上における権力行使には二面性がある」ことを明らかにしたものとしています。
さらに「この答弁は警察行動と軍事行動の区別が見方によって変わることを示している。」とも分析。
(本書p208-209より)
この答弁は、
近年注目されているグレーゾーン事態への対処の難しさを想起させられるもので、個人的にとても印象に残りました。
また、
このように現代の日本の防衛問題にも通じる議論が、戦後の早い時期に交わされていたことを知ることができました。
画期的な点③
本書では海上保安庁史の中にマハンのシーパワー理論を持ち込んでいる点が特徴です。
特に、
著者はマハンの次の指摘に注目しています。
「海軍の規模より重要なことは
予備員と予備艦艇により
戦時に海軍力を急速に増強することができるような制度である」
これを踏まえて、
非軍事組織としての海上保安庁の解体と、
準軍事組織としての海上公安局を設立しようとする旧海軍軍人による試みがあったと論述しています。
さらにこの試みは「マハンの理論を忠実に実践しようとした」ものと著者は捉えています。
(本書p209より)
しかし結果として、
海上保安庁は非軍事組織として存続しました。
その一方で、「海軍」の名称を使用しない形で海上自衛隊が発足しています。
こうなった理由について、
吉田茂総理大臣の内外情勢を判断した「現実主義的な考え」、いわゆる「吉田路線」に基づくものであったと著者は分析しています。
(本書p211-212より)
そもそも【海上公安局】はその設置が保安庁法で定められたにも関わらず、その組織規程である海上公安局法が未施行のまま組織廃止に至りました。
この【海上公安局】設立の意義を、
予備海軍的組織の実現のためとする著者の指摘を私は新しく感じました。
タイトルについて
私がこの本の存在を知ったきっかけは、
たしかツイッターで広告が流れてきたからだったと思います。
タイトルに「日本海軍」とあって、
それが未完。
表紙だけで何となく内容を推測してしまったのですが、サブタイトルに「海上保安庁」が含まれているので私としては無視するわけにはいきませんでした。
なにせ海上保安庁に関する書籍が発売されること自体が少ないので…。
読んでみた結果としては、
前述したように海上保安庁史研究において画期的な一冊でした。
当然、
この本の価値に他の方も気づかれたようで、ウィキペディアの関連記事にさっそく引用されています。
それだけに、
残念というか懸念事項が一つ。
私がそうだったように、
本書を初めて目にしたときに、
海上自衛隊側に軸足を置いた書籍として捉えられることが多いのではないか。
…という点です。
もちろん、
海上保安庁・海上自衛隊の歴史を語る上で、双方の存在を抜きには語れません。ですから一方を語ったとしても、そこには他方のことが含まれています。
それはわかってはいるんですが、
メインタイトルに「日本海軍」とあり、
護衛艦さみだれの写真が表紙を飾っているのを見ると、
やはり日本海軍・海上自衛隊について(のみ)の本かと誤解されるのではないでしょうか。
推薦文について
本書への推薦文として、
櫻井よしこ氏の文が帯に書かれています。
自力で自国を守れない戦後の日本は
本書帯文より
真の独立国たりえない。
自国防衛を妨げる一連の不条理な制約のひとつが海上保安庁法第25条である。
本書はわが国にはめられたその足枷を外すべく戦った人々の記録である。
この櫻井よしこ氏の推薦文には少し違和感を覚えました。
たしかに、
海上保安庁法第25条に「非軍事規定」が置かれています。
海上保安庁法
(昭和23年法律第28号)第25条
この法律のいかなる規定も
海上保安庁法 | e-Gov法令検索
海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない。
※読みやすいように原文を改めています。
著者も、
「主要な海洋国と比較した場合の海上保安庁の特異性は、軍隊的機能を否定した点にある。」としています。
(本書p209より)
さらに、
この「非軍事規定」を廃した形の、
「海上公安局法が施行されれば、戦前・戦中と同じように海上での警察権も取り込む、完全な形での海軍再建が果たされるところであった。」
「しかし、海上保安庁を外局とする運輸省の強い抵抗に遭遇した。」
「これは戦後官庁の運輸官僚と海軍再建を図ろうとする旧海軍軍人の対立とも言えた。」と著者は述べています。
(本書p210より)
改めて、
海上保安庁法第25条を不条理な制約とする観点からは、本書は「足枷を外すべく戦った人々の記録」と読めるのでしょう。
しかし、
私としてはむしろ非軍事組織としての海上保安庁を守ろうとした人々の抵抗史として本書は読めました。
一つの事実を、
どちらの側で眺めるかによって見方が変わる点は、前述の大橋大臣の答弁にも似ているなと感じるところです。
おわりに
以上、
『未完の海軍』の紹介と感想でした。
本書は今後の海上保安庁史研究において、一つの重要な先行研究として扱われることになると思います。
また、多くの読者からの検証と評価が寄せられることが望まれます。
そのことにより、
海上保安庁の歴史研究が進むことを期待するものです。
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