映画『ゴジラ-1.0』公開直前記念。初代ゴジラと海上保安庁の賛助をふりかえります。
はじめに
みなさん、
11月3日は何の日かご存知でしょうか?
もちろん文化の日なのですが、実は映画『ゴジラ』の公開日でもあります。
ゴジラシリーズは昭和から平成・令和まで数多いものの、その中でも一番最初の作品は1954年(昭和29年)の11月3日に公開されたのです。
そのため2016年の『シン・ゴジラ』の劇中世界は11月3日から始まるなど、特別な日となっています。
そして2023年11月3日、
新たな作品『ゴジラ-1.0』が公開されます。
ゴジラ マイナスワンと読むこの作品は、初代『ゴジラ』と同じく戦後間もない頃の日本を舞台としているようです。
そもそも水爆実験の影響で生まれたとされるゴジラ。
そのゴジラとはまた違った新たな姿が描かれるのか?
期待をこめて最新作の公開を待ちたいと思います。
というわけで。
今回はこれを記念して、初代『ゴジラ』を今あらためてふり返ってみたいと思います。
もちろん当サイトのことなので、
海上保安庁的視点からの『ゴジラ』。
なにより映画の冒頭はこの↓テロップから始まるからです。
意外かもしれませんが、
このテロップはメインタイトルよりも前、東宝のロゴマークよりもさらに前に現われます。
今日の映画であれば、「撮影協力」とか「協賛」の文字がエンドロールに流れるのが一般的。
しかし、賛助という力のこもった言葉が示す、海上保安庁とゴジラとの関係とは一体何でしょうか?
その答えをストーリーを追いかけながら探っていきましょう。
海上保安庁への第一報
まず海上保安庁目線での物語は、栄光丸からのSOS信号で始まります。
【海上保安庁オペレーションルーム】
南海汽船所属貨物船 栄光丸7500トンは
8月13日19時5分
北緯24度東経141度2分付近において遭難。
連絡中絶、原因不明。
第3管区・第4管区所属PMは
出動準備を完了待機せよ。
海上保安庁は早速対応を始めるものの、通信は途絶。
巡視船の待機を各管区本部に指示するアナウンスが響くなか、係員らが首をかしげています。
海上保安庁・執務室 | |
南海汽船 社長 | 誠にどうも… 原因は何でしょう? |
海上保安庁 係員 | 全然、見当がつきません。 まるで明神礁の爆発当時そっくりです。 いきなりSOSを発信して そのまま消息を絶ったんです。 |
「明神礁の爆発」とは、
海上保安庁の測量船【第五海洋丸】が明神礁と名付けられた海底火山の調査に向かう途上で行方不明となった事故のことです。
海底火山の爆発に巻き込まれたと見られ、乗組員31名全員が犠牲となりました。
これは『ゴジラ』公開2年前のことであり、劇中の係員にもまだ生々しい記憶であったのでしょう。
ともかく、
付近を航行中だった備後丸が救助に向かい、何らかの手がかりが得られるだろうと思われたのですが…。
出動!海上保安庁
しかしその備後丸も同一地点で遭難してしまいます。
原因はやはり不明。
記者室には船員の家族たちが集まり、係員に詰め寄ります。
海上保安庁・新聞記者室 | |
船員の妻 | せめて生存者があるとかないとかの 見通しもつかないんですか? |
係員 | とにかく明朝までお待ち下さい。 ヘリコプターも出動していますし、 ”こうず”と”しきね”も 現場へ急行中ですから。 その報告を受けてからでないと 何とも申し上げられません。 |
翌朝、
大戸島の漁船が3名を救助したとの続報が入ります。
海上保安庁・新聞記者室 | |
係員 | とりあえず漁船に救助された3名は 大戸島へ入港しますので、 早速こちらから 巡視船 穂高を派遣いたしました。 |
海上保安庁は大戸島へ巡視船【穂高】を急派し、まもなく事故原因もつかめるかと思いきや。
海上保安庁・執務室 | |
尾形 | どうしたんですか? |
係員 | 信じられん。 まったく信じられん。 大戸島の漁船も同じ運命です。 |
本社に連絡する新聞記者。 執務室になだれ込む家族たち。 | |
船員の 家族 | どんな情報が入ったか、 早く聞かせて下さい! |
係員 | すぐ発表いたしますから、 待って下さい。 ちょっちょっ待って、待って… |
なんと大戸島の漁船まで遭難するという異常事態。
家族らはパニックとなり、海上保安庁が対応に苦慮する様子が描かれます。
さて。
ここまでのシーンで巡視船3隻と、ヘリコプターについて言及がありました。
まずは巡視船【こうず】と【しきね】について。
PM20こうず
1951.12.08竣工→1979.09.25解役
第4管区:鳥羽海上保安部
PM21しきね
1952.01.09竣工→1979.08.18解役
第3管区:下田海上保安部
両船はともに【ちふり型】の3番船・4番船の姉妹です。
PMとは【Patrol vessels Medium】中型巡視船のことで、全長は55.7m。
同じ造船所で建造されたこの2隻は同形同大、さらに生まれた時期もわずか1か月ちがいというのがポイント。
(この点は後で活きてきます)
一方、
大戸島に派遣された「巡視船 穂高」はおそらく架空のもの。
そもそも大戸島が架空の島なのですが、『海上保安庁全船艇史』に「穂高」という船の記録はありません。
ひらがなの【PS202ほたか】なら福井県の敦賀海上保安部で現役活躍中なのですが…。
それにもし「巡視船 穂高」があったとしたら、長野県の穂高岳に由来してそうなので日本海側の第8管区に所属しているはず。
よって、
架空の島に架空の巡視船が派遣中だった…という設定なのでしょう。
なお、この不可解な連続海難について、新聞記事には次のような見出しが躍ります。
浮流機雷か?
海底火山脈の噴出か!
原因不明の沈没事件続出
生存者絶望視さる
この見出しの中で「浮流機雷か?」とあるのは、日本沿海に残された戦時中の機雷が社会問題となっていたからです。
余談ですが、海上自衛隊の前身である【警備隊】ができるまでは、機雷掃海の任務は海上保安庁が担っていました。
この当時、浮流機雷の存在とその爆発による船の事故もまた、人々の生々しい記憶としてあったことでしょう。
巡視船 穂高の活躍
栄光丸遭難の翌々日。
雑魚一匹かからない不漁にゴジラを思い出す大戸島の老人。
やがて海上保安庁のヘリ【シコルスキーS-55】が大戸島に到着します。
海上保安官に同行した新聞記者の萩原が、老人から【呉爾羅伝説】を聞いたその夜。
暴風雨とともに巨大な生き物が現れ、村とヘリコプターを踏みつぶしていきました。
劇中では海上保安官3名とパイロット1人がヘリから降り立っていたので、少なくとも4人の職員が帰る手段を失って困ったことでしょう。
では、
彼らはどうやって本土に戻ったか?
これはさきほどの「巡視船 穂高」が後から到着して、彼らを回収したのだと思います!
なぜなら栄光丸の遭難地点は小笠原諸島の父島よりもさらに南西、硫黄島に近いエリアだからです。
そして正確な位置はわかりませんが、栄光丸遭難地点に近い場所に大戸島はあると考えられます。
そうなると、
例えば現在の連絡船【おがさわら丸】ですら、父島の二見港まで24時間・丸一日かかる距離。
当時の船:巡視船穂高が36時間・一日半ぐらいかけて、ヘリに遅れて大戸島に到着するのは自然な感じです。
(ゴジラが現れた夜は近くの海も荒れていたでしょうし…)
おお、
幻の巡視船による幻の出動がこんなところで役に立つとは!
こうして辛くも本土に帰還できた萩原記者(と海上保安官ら)は、村民とともに国会で惨劇の実態を証言します。
その結果が、
【巡視船しきね】による本格的な大戸島調査団の派遣につながるのでした。
旅立つしきねと洋上のこうず
場面変わって東京・竹芝桟橋。
大戸島災害調査船
しきね歓送受付
…と書かれた立看板が映り、
【巡視船しきね】の出港を人々が歓声をあげて見送っています。
その様子はあたかも東京港:晴海桟橋から旅立った【南極観測船 宗谷】の歓送式を彷彿させるような華々しいものでした。
これも当時の人々にとってはたった3年前のことですから、記憶に新しいところ。
なお、この【宗谷】も海上保安庁の船であったことは以前ご紹介したとおりです。
以前の記事はこちら↓
以上のように、
・明神礁の事故
・浮流機雷の爆発
・東京港での歓送式
…といった当時実際にあった出来事やワードをちりばめることによって、ゴジラという虚構を現実と地続きであるかのように感じさせる工夫をしているのですね。
それはさておき。
【しきね】に乗ったはずの尾形青年と恵美子さんは、なぜか【こうず】の甲板で会話しています。
(直前のワンカットがこうずになっているため)
この理由は映画のロケ地の関係かと思われます。
実は大戸島やラストのシーンは三重県鳥羽市の石鏡で行われたので、鳥羽海上保安部の【こうず】が使用されたようです。
一方、東京の竹芝桟橋でシーンは下田海上保安部の【しきね】が。
とはいえ、両船は双子と言ってもいいくらいの姉妹船。
したがって救命浮環や船首に書かれた船名を見なければ、どっちがどっちかはわからないと思います。
このあたりもこうず・しきね姉妹が選ばれた理由ではないでしょうか。
いかがでしょう?
海保と再軍備の時代
大戸島に到着した山根博士らは、そこでついにゴジラと遭遇。
しかし八幡山の稜線に顔を出したゴジラは、右往左往する群衆を尻目に足跡(と尻尾あと)を残して消えます。
そして島での調査結果が国会で報告されると、政府は対ゴジラの災害対策本部を設置しました。
劇中の『毎朝新聞』1面には、
政府ゴジラ対策に本腰
災害対策本部設置さる
船舶の被害甚大
既に十七隻に及ぶ
…と大きく報道されています。
ということで、
いよいよ海上保安庁の巡視船隊が、
…ではなくフリゲート艦隊が出動し、海中に潜むゴジラに対して爆雷攻撃を行うことに。
が、しかし!
そうした人間の警戒網をかいくぐって、ゴジラは東京湾に出没。
その後日、さらに品川区沿岸に上陸、破壊していきます。
こうした連日の事態を受けて、災害対策本部ではゴジラ上陸阻止作戦(仮)を立案するのですが…。
ちょっとここで、
話題をそらします。
さて、
劇中ではゴジラ対策が本腰となりましたが、逆に海上保安庁はしばらく影が薄くなります。
その代わり、強力な火力を有するフリゲート艦隊や防衛隊が登場。
これらは一体どんな組織なんでしょうか?
そこで『ゴジラ』が公開されたこの時代をふり返ってみましょう。
西暦 元号 戦後 | 日付 | できごと |
1952 S27 7年後 | 01.09 01.18 04.26 04.28 07.31 08.01 09.24 | PM21しきね竣工 李承晩ライン設定 海上保安庁内に海上警備隊設置 日本主権回復、安保条約発効 海上公安局法公布 保安庁法施行・警備隊発足 第五海洋丸、明神礁遭難事故 |
1953 S28 8年後 | 01.31 08.08 07.27 | 山口傳 第3代海保長官就任 ラズエズノイ号事件 朝鮮戦争休戦 |
1954 S29 9年後 | 03.01 07.01 同日 同日 09.26 11.03 | 第五福竜丸事件 防衛庁設置法・自衛隊法施行 海上自衛隊発足 海上公安局法廃止 青函連絡船洞爺丸沈没 『ゴジラ』公開 |
まず、
1954年7月には防衛庁が設置され、陸海空の自衛隊が発足しています。
(防衛庁はその後防衛省に昇格改組しています。)
そして『ゴジラ』の劇場公開は同年の11月ですから、劇中に「自衛隊」の名称が登場してもおかしくはありません。
ただし、諸般の事情があったのか異なる名称となっています。
・陸上自衛隊→防衛隊
・海上自衛隊→海上保安隊
・航空自衛隊→名称登場せず
この内、
ややこしいのは海上保安隊。
この組織名はゴジラ上陸阻止作戦(仮)の説明シーンで、
「防衛隊並びに海上保安隊は…」というセリフにあります。
おそらくこれはゴジラへの爆雷攻撃を実施したフリゲート艦隊を擁する組織のこと。
海上保安…と聞くと、
まるで海上保安庁のことかと勘違いしそうになりますが…。
しかし、
さきほどのセリフで「防衛隊ならびに海上保安隊は…」と表現されていることから、戦車(特車)を擁する防衛隊と並列の存在であることがうかがえます。
反対に、これがもし海上保安庁の職員たちという意味ならば「防衛隊および海上保安隊は…」という言い方になるはずだからです。
細かい点ですが、
法律や行政手続き上「並びに」と「及び」は使い分けされているので、海上保安隊は海上保安庁とは別物と読み取れるのです。
それはそれとして。
次に、
現実世界での日本の防衛組織の変遷を整理してみましょう。
西暦 元号 戦後 | 帝国海軍 | 帝国陸軍 | ||
1948 S23 3年後 | 05.01 運輸省 海上保安庁 | |||
1950 S25 5年後 | 08.10 総理府 警察予備隊 | |||
1952 S27 7年後 | 04.26 海上保安庁内 海上警備隊 →07.31廃止 | 08.01 保安庁 警備隊 | 10.15 保安庁 保安隊 | |
1954 S29 9年後 | 07.01 防衛庁 海上自衛隊 | 07.01 防衛庁 陸上自衛隊 | 07.01 防衛庁 航空自衛隊 |
まず最初に陸上の防衛部隊について。
帝国陸軍を事実上の母体として、
警察予備隊→保安隊→陸上自衛隊へと直列的な変遷を遂げています。
これに対して海上の防衛部隊については、まず海上保安庁の一部組織として海上警備隊が設けられました。
とは言え、
海上警備隊は帝国海軍を事実上の母体としており、ほどなく警備隊→海上自衛隊へとつながっていきます。
つまり『ゴジラ』の1954年とは、陸軍や海軍を解体された「戦後日本」が再軍備を遂げた年でした。
その再軍備に至る様々な組織変遷があるために、『ゴジラ』劇中では防衛隊・海上保安隊というふうに名付けられたと推察できるのです。
それでは、
話を元に戻して。
防衛隊ならびに海上保安隊の奮闘むなしく、ゴジラは防衛ラインを突破。
首都を蹂躙し、一帯は火の海と化します。
やがて海へ戻ろうとするゴジラの背後を、航空部隊が狙いますが効果はありません。
あとには灰燼に帰した東京の街と、
人々の慟哭と嗚咽だけが残されるのでした。
誰がための敬礼
物語はいよいよ終局へと向かいます。
芹沢博士がゴジラ抹殺のため、オキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)の使用をついに決断。
彼は尾形青年とともに巡視船しきねから、ゴジラが潜む海底へと潜っていきます。
それを船上から見守る山根博士・恵美子さんらと報道陣、そしてしきね乗組員たち…。
後に怪獣映画の金字塔として名を遺す『ゴジラ』最後の名シーン。
実はここの「しきね」船上に映る乗組員たちは、一人を除いて全員本物の海上保安官だそうです。
このことは、
映画会社:東宝の社内報で次のように記録されています。
東宝スタジオ・メール№244
怪獣ゴジラが初めて襲うた大戸島に武装巡視船を駆ってロケーション敢行!☆海上保安庁の協力
『ゴジラ1954』p18 東宝スタジオ・メール№244 より
(略)
海上保安庁の熱の入れ方も大変で、一日、わざわざ第四管区本部長がロケーションの実際はどんなものか、協力ぶりはどうかを視察のため鳥羽まで出張、
(中略)
そのとき、巡視船の乗組員十数名は進んでエキストラの役を引き受け、船上と海底の二人との電話連絡とか、船長始め士官たちがゴジラ対策員と相談するシーンなどに出演、本部長からの激励にキャメラの前に立つ以上にテレながらの大熱演だった。
わかりやすいのは海底に潜った芹沢博士・尾形青年と通信していた人物、の背後にいた方。
まず海底と通信していたのは俳優の中西英介さん。
「着底しました!」
「停止!」…のセリフがある方です。
そしてその背後で「機関停止!」とさらに伝達したのが、【こうず】の次席通信士だった方だそうです。
(この方は最後の号令役の人でもあります!)
もちろんその周囲にいたのも本物の【こうず】乗組員。
しかもこの撮影には第4管区本部長も視察に来ていたとのこと、画面に一層の緊張感を加えたのではないかと思われます。
(※設定上は「しきね」ですが、実際の撮影は【こうず】で行われました)
さて、こうして本物の巡視船、本職によるエキストラよって支えられたラストシーン。
ついにオキシジェン・デストロイヤーが開放され、ゴジラが苦痛の咆哮をあげながら海面に現われ、力尽き海中に没していきました。
一人海底に残った芹沢博士もそのゴジラと運命を共にして、破壊兵器の秘密を守ったまま消えていきます。
瞬間、
勝利に沸く報道陣でしたが、やがて一同は静かに頭を垂れます。
海上保安官らも号令とともに挙手の敬礼を水面に捧げます。
それは我が身を犠牲にした博士への哀悼であったのか、圧殺された無辜の市民への祈りであったのか。
はたまた水爆のために住処を追われたゴジラへの鎮魂のためか。
「直れ!」の号令で目線を戻した人々の前には、きらきらと光る大海原が広がるばかりでした。
ゴジラ
終
海上保安庁賛助の謎
以上、
海上保安庁の視点で見直す映画『ゴジラ』でした。
これまでこの1954年の初代『ゴジラ』について、多くの考察や研究がなされてきました。
特に作品の時代背景に関しては、水爆実験(第五福竜丸事件)や、誕生間もない頃の自衛隊の装備についてよく目にします。
これは『ゴジラ』が単に特撮映画として優れているだけではなく、「戦後」という時代をよく表しているからだと思います。
そしてこうした傑作に、劇中においても制作においても深く関わったのが海上保安庁でした。
ただし、当時の海上保安庁がこの作品を”賛助”するに至った経緯についてはハッキリとしません。
しかし、たとえば海上保安庁の巡視船が大活躍した理由については次のような記録があります。
東宝スタジオ・メール№244
怪獣ゴジラが初めて襲うた大戸島に武装巡視船を駆ってロケーション敢行!☆海上保安庁の協力
『ゴジラ1954』p18 東宝スタジオ・メール№244 より
(略)
大戸島への調査船も、最後にゴジラをほうむりに行く作業船も、保安庁の巡視船で、要するに海の保安は海上保安庁の役目ということを映画でも実践するわけだからだ。
その他、第4管区本部長の言葉として、少し冗談めかして報じるものもあります。
悲鳴もサナガラ
『ゴジラ1954』p150 第3章 新聞・雑誌 記事・批評集[新聞] より
(略)
劇では自衛隊もこの怪物の前には手も足も出ないことになっているが、これを聞いた自衛隊が”コケンにかかわる”といって出演を断ったという話がある。
志摩ロケでは海上保安庁第四管区の巡視船「こうづ」(四五〇㌧)がキンゼンとして参加している。
管区部長の話では「コチラは自衛隊と違って平和が使命ですからゴジラでもクジラでも喜んで協力します」とのことだった。
(『熊本日日新聞』昭和29年9月6日)
※こうずの船名については原文ママ
これは私の想像ですが、
自衛隊という事実上の軍隊が復活した当時において、それらとは異なる存在としての海上保安庁をアピールする狙いがあったのかもしれません。
理由はいずれにせよ、
海からやって来て海へと還る生き物に、まず相対するのは今も昔も海上保安庁でありましょう。
私にはそうした密かな矜持が”賛助”の文字に隠されているように思えてなりません。
おわりに
今回の記事では次の資料を参考にしています。
『ゴジラ1954』
竹内博・村田英樹編 実業之日本社
1999.11.10
『完全・増補版 円谷英二の映像世界』
竹内博・山本眞吾編 実業之日本社
2001年7月11日
『ゴジラ対自衛隊 怪獣要撃戦』
企画:高橋信之・著者:未来防衛研究所
1998年10月10日
『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本 』
洋泉社
2014年7月24日
→こうず次席通信士だった方のインタビューが掲載されています。
・海人社
『世界の艦船2003.7増刊 海上保安庁全船艇史』
2003年7月15日
今までにゴジラを観たことがある方も、観たことがない方も↓下の年表をサラッと眺めてから視聴するとより深く楽しめる…かもです。
西暦 元号 戦後 | 日付 | できごと |
1951 S26 6年後 | 04.11 05.04 09.08 同日 10.31 11.08 12.08 | マッカーサー罷免 柳沢米吉 第2代海保長官就任 サンフランシスコ平和条約調印 旧日米安保条約署名 第1回Y委員会開催 南極観測船 宗谷、出航 PM20こうず竣工 |
1952 S27 7年後 | 01.09 01.18 04.26 04.28 07.31 08.01 09.24 | PM21しきね竣工 李承晩ライン設定 海上保安庁内に海上警備隊設置 日本主権回復、旧安保条約発効 海上公安局法公布 保安庁法施行・警備隊発足 第五海洋丸、明神礁遭難事故 |
1953 S28 8年後 | 01.31 08.08 07.27 | 山口傳 第3代海保長官就任 ラズエズノイ号事件 朝鮮戦争休戦 |
1954 S29 9年後 | 03.01 07.01 同日 同日 09.26 11.03 | 第五福竜丸事件 防衛庁設置法・自衛隊法施行 海上自衛隊発足 海上公安局法廃止 青函連絡船 洞爺丸沈没 『ゴジラ』公開 |
【参考動画】
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