船体の中央高くに飾られたコンパス章。
巡視船のファンネルマークを解説します。
はじめに
東京:お台場に保存されている
南極観測船【宗谷】。
この【宗谷】が南極に行ったとき、
どこの所属の船だったでしょうか?
A.海上自衛隊
B.海上保安庁
C.文部省
答えは、B.海上保安庁。
その証拠に【宗谷】の煙突には、
コンパスマークが飾られています。
このコンパスマークは現在の巡視船にもあるので、これを見れば「海上保安庁のフネだな」とわかるわけですね。
ちなみに現在の南極観測船(砕氷艦)は海上自衛隊によって運用されています。
そのため、かつては海上保安庁が南極観測に参加していたことを知らない人も多いかもしれません。
第64次南極地域観測協力
写真で見る砕氷艦「しらせ」活動の様子第64次南極地域観測協力|海上自衛隊 〔JMSDF〕 オフィシャルサイト (mod.go.jp)
運命に翻弄された船
ところで。
元々【宗谷】はソヴィエト連邦向けの貨物船として日本で建造が始められました。
時代は太平洋戦争より前の1936年。
しかし、その後の国際情勢によりソ連に引き渡されることはありませんでした。
そのため様々に所属と船名を変えて、数奇な運命をたどることになります。
日本・民間商船
地領丸
↓
日本海軍・特務艦
宗谷
↓
船舶運営会・引揚船
宗谷丸(または宗谷)
↓
海上保安庁・灯台補給船
LL01宗谷
↓
海上保安庁・巡視船
PL107宗谷
(南極観測に参加)
この目まぐるしい歴史の中で、【宗谷】は6回の南極観測に参加。
最終的にこうした功績が認められ、保存展示されることになりました。
そのおかけで現存する海上保安庁最古の船という貴重な価値も持っています。
さて、
巡視船の外観デザインを考えるシリーズ第4弾。
今回は煙突のコンパスマークについて。
海上保安庁初期の面影を残す【宗谷】を手がかりに、巡視船デザイン史をひもといていきます。
ファンネルマークとしてのコンパス
まずは基本事項から。
海上保安庁のマーク「コンパス」は製図用の道具のことではなく、方位磁針・羅針盤のことです。
そして、船の煙突に飾られたデザインのことをファンネルマークと呼びます。
ファンネル(funnel)とは英語で汽船や機関車の煙突のこと。
(ファンネルには漏斗・じょうごの意味もあり、ガンダムの武器はこちらが由来。)
このファンネルに独自のマークを施して、船会社が自社をアピールすることが広く行われています。
ファンネルマーク
日本財団図書館(電子図書館) 「シップ・ウォッチングin東京湾 観光船“海舟”」テキスト (zaidan.info)
海上保安庁もこうした例にならって、ファンネルマークを施しているわけですね。
ちなみに【宗谷】は栗林汽船(現:栗林商船 株式会社)に所属していたことがあり、その間は同社のファンネルマーク「丸七紋」を掲げていました。
(上の図表の一番右下のマークです)
まとめると、
船舶の煙突に施されたデザインの総称を、
ファンネルマークと呼ぶ。
そして海上保安庁の船舶のファンネルマークにはコンパスマークが使われている。
…ということです。
どうでもいい話ですが
私は海上保安庁にハマった最初の頃、あのコンパス柄自体のことをファンネルマークと言うのだと勘違いしてました…。
(;^ω^)
正式名称はコンパス章!
ではここで改めまして。
コンパスマークの正しい名前は、
「コンパス章」です!
以前の記事でもご紹介したとおり、コンパス章は海上保安庁の『告示』によって定められています。
そして、煙突を有する船舶の場合はこれを煙突側面に表示させることとなっています。
最初に煙突のコンパス章が定められたのは1950年。
その後、
細かな改正を経て現在では次のようになっています。
『海上保安庁告示』第3号
平成14年(2002年)1月16日
上部構造物 煙突最先端の部分を黒色、
H14.01.16『官報』第3280号p4
その他の部分を白色とし、
白色の部分の両側面に紺青色の地に白色のコンパス章(昭和26年海上保安庁告示第16号に定める海上保安庁の旗の様式に準ずるもの。)を表示する。
この規定の中でコンパス章は「海上保安庁の旗の様式に準ずるもの」とされています。
すなわち、
庁旗と同じデザインだということですね。
その旗の様式はまた別の『告示』で定められています。
海上保安庁の旗の制式の制定に関する件
海上保安庁施行令第2条の規定により、海上保安庁の旗の制式を別図の通り定め、昭和26年5月20日から適用する。備考
昭和26年(1951年)5月28日 海上保安庁告示第16号
一 地色 紺青色
二 コンパス 白色
(対角線及び稜線は地色と同じ)
つまり、
旗のコンパスデザインが先にあって、それに準じる形で煙突のコンパス章がある…ということです。
なお、煙突がない船にはコンパス章はありません。
(例えばウォータージェット推進の巡視船など)
ただし【消防船】や、煙突のない【設標船】には「両側面の適当の箇所に」コンパス章を表示することとなっています。
消防船 FL01ひりゆう 放水やぐらに表示されている。
横浜海上保安部 (mlit.go.jp)
設標船 LM11みようじよう 階段張り出し部分に表示されている。
第六管区に所属した設標船、灯台見回り船 (mlit.go.jp)
コンパス章はいつから表示されたか
それでは改めて、
コンパス章が表示されるようになった最初期を追ってみたいと思います。
『海上保安庁告示』第15号
昭和25年(1950年)5月10日
(※昭和25年4月1日から適用)煙突は、
S25.05.10『官報』第6995号p112
最上端からその径の三分の一に相当する部分を黒色とし、その他の部分を白色とし、
かつ、
その両側白色の部分に、紺青地に白のコンパス章(海上保安庁旗制式令に定める様式に準ずる。)を附する。
海上保安庁旗制式令
昭和23年政令第97号
海上保安庁法(昭和23年法律第28号)第4条第3項の規定による海上保安庁の旗の制式は、別図の通りとする。
附則
この政令は、海上保安庁法施行の日から、これを施行する。
別図
一 地色 紺青色
二 コンパス 白色
(対角線及び稜線は地色と同じ)注:当該『庁旗制式令』は昭和26年(1951年)5月20日に廃止。
海上保安庁旗制式令・御署名原本・昭和二十三年・政令第九七号 (archives.go.jp)
先に述べたように、
最初に煙突のコンパス章が定められたのは1950年。
当時の『告示』に基づいて、同年4月1日から海上保安庁の船舶煙突にコンパス章を附することとなりました。
ちょうどこの頃。
前年1949年12月12日に海上保安庁へ移籍した【宗谷】に、改装工事が行われていました。
そして1950年4月1日、
【宗谷】は灯台補給船【LL01】として生まれ変わりました。
Light-house service vessel Large
この際に【宗谷】の船体は白色となり、煙突にコンパス章が附されました。
また、同日前後の新造船たちにも同様のデザインが施されています。
1950.3.13【PM01あわじ】 竣工
1950.3.15【PL02だいおう】竣工
つまり【宗谷】は海上保安庁にとって、コンパス章第一陣の船でもあると言えるでしょう。
なお、巡視船に斜めのレーシングストライプ:S字章が表示されるようになったのは1984年7月から。
なんと30年以上の開きがあります。
コンパス章は長らく“海上保安庁のフネ”であることを示す、唯一最大の標識でもあったわけですね。
コンパス章は今もなお
海上保安庁の灯台補給船として新たに出発した【宗谷】。
その後、南極観測のために船体外舷はアラートオレンジに塗り替えられ、船種は巡視船に変更されました。
ただし、青と白のコンパス章は変わらず。
そして1951年11月8日。
このファンネルマークを掲げて【宗谷】は南極へと出航したのでした。
「宗谷」第1次南極観測│南極観測船「宗谷」│船の科学館公式、ホームページ (funenokagakukan.or.jp) 南緯69度、東経39度の地点に接岸を完了、ただちに積荷が降ろされる”宗谷”
出航に際しては、東京の晴海桟橋で盛大な歓送式(お見送り)が行われ、島居辰次郎海上保安庁長官も臨席しました。
国民歓呼の激励の中、松本満次船長(二等海上保安監)が「最善を尽くす」と挨拶した様子が映像記録の中にも残っています。
こうして旅立った【宗谷】は、この大事業に第1次~第6次まで参加。
その後、船体は再び白色に戻されて通常の巡視船業務に当たりました。
「宗谷」北の海の巡視船として│南極観測船「宗谷」│船の科学館公式、ホームページ (funenokagakukan.or.jp) 南極観測業務を終え、第一管区海上保安本部の巡視船となった“宗谷”
やがて船齢40年を超えた1978年。
【宗谷】はついにその役目を終えて解役されることになりました。
その際に海上保安庁旗は降ろされたものの、煙突にはコンパス章が残されました。
かつて海上保安庁の船が
南極観測を担っていたこと。
その船は
南極観測以外の海上保安業務にも
携わっていたこと。
【宗谷】の白く輝くコンパス章が、今でもこの歴史をアピールし続けています。
【参考文献】
・船の科学館HP
・電子書籍『船の科学館 資料ガイド3 南極観測船 宗谷』
【参考動画】
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