徹底解説!?海上保安庁職員採用試験【後編】

日本の海にはキミが必要だ!海上保安官募集!

レトロ風? 学生募集用ポスター

海上保安大学校及び海上保安学校の学生採用試験の申込者数は、近年減少傾向にあり、少子化が進む中、人材確保は海上保安庁にとって重要な課題となっています。

海上保安庁では、学校訪問、各種説明会やイベントへの参加、InstagramやYouTubeでの広告配信など、様々な学生募集活動に取り組んでいますが、このたび、重要なコンテンツである学生募集用ポスターを刷新しました。

昭和を感じさせるレトロなデザインとなりましたが、きっかけは、今までの学生募集用ポスターがどれも同じように見え、頭を悩ませていた担当者が書庫を整理していたところ、「第1回海上保安庁職員採用試験」と記された冊子に挟まった当時の海上保安官募集ポスターを発見したことです。

ノスタルジックな雰囲気にしばらく見とれていたところ、「これだ!これなら、他のポスターとひと味ちがうし、思わず足を止めて見てしまうインパクトがあるぞ!」と考え、レトロ風学生募集用ポスターが誕生しました。このポスターが、学生募集の起爆剤になることを期待しています!

海上保安レポート 2025年版 / 目指せ!海上保安官

はじめに

第1回
海上保安庁職員
採用試験

1950年(昭和25年)9月8日(金)実施
※予備日:9月11日(月)、9月14日(木)

昭和25年8月17日に公告された、
「第1回海上保安庁職員採用試験」の冊子の表紙

海上保安庁公式インスタグラムより

https://www.instagram.com/p/DBLTnM1vld8/?utm_source=ig_web_copy_link



さて、
前回は第1回海上保安庁職員採用試験の問題に皆さんと挑戦しました。

今回は改めてこの試験そのものを詳しく分析していきます。

それではまず始めに第1回試験の募集要項をざっと眺めてみてください。



第1回海上保安庁職員採用試験公告

大蔵省印刷局 [編]『官報』第7080号
1950年08月17日,
国立国会図書館デジタルコレクション

p256-258


正誤表
大蔵省印刷局 [編]『官報』第7089号
1950年08月28日,
国立国会図書館デジタルコレクション
p444


試験公告:補助要員と海上保安官補

誤:或は2の補助要員としての業務に
正:或はその補助要員としての業務に

それでは試験公告の気になるポイントを見ていきましょう。

まず最初に、
ここまで説明してきませんでしたが【補助要員】とは何でしょうか?



この点に関して、詳しい方なら海上保安官の階級に【海上保安官かいじょうほあんかんほ】があるのをご存知だと思います。

海上保安庁法(昭和23年法律第28号)
※2025年10月現在の現行規程
第14条
① 海上保安庁に海上保安官及び海上保安官補を置く。
② 海上保安官及び海上保安官補の階級は、政令でこれを定める。
③ 海上保安官は、上官の命を受け、第二条第一項に規定する事務を掌る。
④ 海上保安官補は、海上保安官の職務を助ける。


第19条 海上保安官及び海上保安官補は、その職務を行うため、武器を携帯することができる。

第31条
海上保安官及び海上保安官補は、海上における犯罪について、海上保安庁長官の定めるところにより、刑事訴訟法の規定による司法警察職員として職務を行う。

海上保安庁法 | e-Gov 法令検索

【海上保安官補】は現行の海上保安庁法にも規定があり、同施行令第9条で一等から三等までの3階級に分かれています。
・一等海上保安士補
・二等海上保安士補
・三等海上保安士補


ただし、Wikipedia記事「海上保安官」によると、海上保安官補は1990年(平成2年)以降は発令されていません。

では、補助要員とは海上保安官補のことなのか?と言えば…。

実はこの採用試験当時には【海上保安官補】の定めはありません。


海上保安官補の身分が庁法に規定されるのは、第1回試験の1か月後:1950(昭和25年)10月23日のこと。
・昭和25年10月23日公布・施行
 政令第318号『海上保安庁法等の一部を改正する政令』

だから試験公告の8月17日時点では「補助要員」という表記になっているのですね。

そして、つまるところこの試験は事実上の第一回海上保安官補採用試験という面もあったということになります。

試験公告:採用予定人員



海上保安官の採用予定人数

海上保安官採用予定人員表
(段階ⅠーⅤ)約550名

航海科機関科通信科
二等海上保安正55010
三等海上保安正658015160
一等海上保安士555520130
二等海上保安士604040140
三等海上保安士202060100
205200135540
海上保安官採用予定人数(数字はすべて約〇〇人)

実はこの第1回試験は補助要員・三等海上保安士以外の職員採用も目的としています。


目立つのは三等海上保安正さんとうかいじょうほあんせいの人数が多いこと。

同階級は現在で言えば、海上保安大学校かいじょうほあんだいがっこう本科の卒業者が最初に与えられる階級です。

したがって、初任幹部としての人材を多く募集していたことがここから読み取れます。



その一方、筆記試験が行われた三等海上保安士さんとうかいじょうほあんしは、現在で言えば海上保安学校かいじょうほあんがっこうを卒業した者が最初に与えられる階級。

海上保安官補がいない現在では最も下の位置づけ(学生を除く)ですが、当時においては中堅的な存在です。


ひるがえって、
前回ご紹介した三等海上保安士試験のレベルの高さは、その地位が相対的に高かったことに由来していたのだ…と納得がいきますね。



補助要員の採用予定人数

補助要員採用予定人員表
(段階Ⅵ, Ⅶ)約600名

航海科機関科
第1海上保安管区(小樽)252550
第2海上保安管区(塩釜)302050
第3海上保安管区(横浜)302555
第4海上保安管区(名古屋)101020
第5海上保安管区(神戸)353065
第6海上保安管区(広島)353065
第7海上保安管区(門司)13090220
第8海上保安管区(舞鶴)252550
第9海上保安管区(新潟)201030
340265605
補助職員採用予定人数(数字はすべて約〇〇人)

次に管区ごとの補助要員の採用人数について。

こちらは関門海峡(下関港しものせきこう門司港もじこう)を管轄する第7管区での採用が、飛びぬけて多い数となっています。

ただし、この時代は第7管区が九州全域を管轄しており、九州南半分を管轄する第10管区とに分かれていません。

(ついでに言えば、沖縄の第11管区も存在しない)



よってこの点は差し引いて考える必要がありますが、それにしても補助要員の1/3以上が第7管区に投入される計算です。

この理由については、関門海峡という船舶輻輳地帯があることに加え、地理的に朝鮮半島に近いことが挙げられます。

端的に言えば、
同年6月25日に朝鮮戦争が勃発したことが原因。

戦場となった朝鮮半島へ向かう駐留米軍の移動、逆に戦争を避けて密入国しようとする人々の流動があったのです。

3. 朝鮮動乱とその後 不法出入国

海上保安庁では、昭和25には不法入国64件510人、不法出国106件412人、翌26年には不法入国270件825人、不法出国299件682人を検挙した。

朝鮮動乱が起こると、戦火をのがれてわが国に避難する難民(婦女子が過半数)が相次いだが、昭和26年に検挙数が著しく増加したのは、25年暮に
鴨緑江おうりょくこう岸まで進撃した国連軍が26年の春に至り、中共軍の介入によって次第に後退し始めたため、再度の戦火を恐れて逃避する者が多く、同年7月27日、一応休戦状態となってからも動乱後の生活は相当に苦しく、そのうえ韓国軍再編成による強力な徴兵制度をのがれようとする者が多かった等の理由による。

これら避難民が最も集中した所は、朝鮮との最短距離にある対馬で、動乱当初から終結時ごろまで常時6隻の巡視船艇を厳原いずはら海上保安部へ配備して警備に当たらせた。

注:厳原~は現在の対馬海上保安部のこと

海上保安庁総務部政務課 編『十年史』,平和の海協会,1961 p36-37



加えて、
海上保安庁も掃海船を下関港に集結させ、極秘に編成した【日本特別掃海隊】を朝鮮海域へ派遣しています。

その機雷掃海の過程で10月17日に掃海船MS14が触雷により大破沈没し、一名の殉職者を出したことは以前の記事でもお伝えしたとおり。

このように第7管区は戦争地帯に最も接近した地域であったわけで、多くの職員を必要としたことは想像に難くありません。

西暦
和暦
戦後
年齢
日付できごと
1948年
昭和23年

3年後
16歳
01.01
05.01
同日
05.12
08.20
10.??
改正民法施行
海上保安庁発足
海上保安庁法・施行令施行
海保庁舎屋上に庁旗掲揚
巡視船 紅線二条制定
『民主主義』上巻発行
1949年
昭和24年

4年後
17歳
06.01
08.??
10.01
12.07
12.12
海上保安官の階級定まる
『民主主義』下巻発行
中華人民共和国 建国宣言
中華民国政府、台北に首都移転
【宗谷】、海上保安庁に編入
1950年
昭和25年

5年後
18歳
05.10
06.25
07.08
08.10
08.17
09.08
10.17
10.23
巡視船コンパス章制定→4/1遡及適用
朝鮮戦争勃発
警察力増強に関するマッカーサー書簡
警察予備隊発足
第1回海上保安庁職員採用試験 公告
第1回海上保安庁職員採用試験 実施
掃海船MS14号触雷
海上保安官補の身分定まる
1951年
昭和26年

6年後
19歳
04.11
05.04
05.20
09.08
同日
10.31
11.08
12.08
マッカーサー罷免
柳沢米吉 第2代海保長官就任
海上保安官補の階級定まる
サンフランシスコ平和条約調印
旧 日米安保条約署名
第1回Y委員会開催
南極観測船 宗谷、出航
PM20こうず竣工
日本史・海上保安庁史年表

試験公告:受験資格

それでは次に受験資格を見ていきます。

試験はⅠ~Ⅶまでの7段階に分かれ、さらに航海科・機関科・通信科の3職種ごとに資格条件が異なります。
(一覧表中の誤りを訂正した上で、区分ごとに別表にまとめました)



学歴または学力年令経歴受有免状


高等商船卒
普通商船卒その他
35~45才
38~45才
10年以上
17年以上
甲種船長


高等商船卒
普通商船卒その他
35~45才
38~45才
10年以上
17年以上
甲種機関長


段階Ⅰ 二等海上保安正


学歴または学力年令経歴受有免状


高等商船卒
普通商船卒その他
28~40才
32~40才
5年以上
11年以上
甲種
一等航海士


高等商船卒
普通商船卒その他
28~40才
32~40才
5年以上
11年以上
甲種
一等機関士


無線講習所本科卒
その他
28~40才10年以上
11年以上
第一級通信士
段階Ⅱ 三等海上保安正


学歴または学力年令経歴受有免状


高等商船卒
普通商船卒その他
25~30才
28~32才
3年以上
8年以上
甲種
一等航海士


高等商船卒
普通商船卒その他
25~30才
28~32才
3年以上
8年以上
甲種
一等機関士


無線講習所本科卒
その他
26~35才
27~40才
6年以上
8年以上
第一級通信士
第二級通信士
段階Ⅲ 一等海上保安士


学歴または学力年令経歴受有免状


高等商船卒
普通商船卒その他
22~27才
25~30才
2年以上
4年以上
甲種
二等航海士


高等商船卒
普通商船卒その他
22~27才
25~30才
2年以上
4年以上
甲種
二等機関士


無線講習所本科卒
その他
23~27才
24~30才
3年以上
4年以上
第一級通信士
第二級通信士
段階Ⅳ 二等海上保安士


学歴または学力年令経歴受有免状


高等商船卒
普通商船卒その他
18~25才不要甲種
二等航海士


高等商船卒
普通商船卒その他
18~25才不要甲種
二等機関士


無線講習所本科卒
その他
18~23才
18~25才
18~25才


1年以上
第一級通信士
第二級通信士
第三級通信士
段階Ⅴ 三等海上保安士


学歴または学力年令経歴受有免状


新制中学卒業
程度の学力
16~35才1年以上不要


新制中学卒業
程度の学力
16~35才1年以上不要


段階Ⅵ 補助要員 海上経歴を要するもの


学歴または学力年令経歴受有免状


新制中学卒業
程度の学力
16~20才不要不要


新制中学卒業
程度の学力
16~20才不要不要


段階Ⅶ 補助要員 海上経歴を要しないもの(見習生)

受験年齢

まず注目は受験年齢です。

下は16歳から、上は45歳までの幅広い年齢層を採用していることがわかります。

ちょっと疑問なのは「申込締切日における満年齢」で区切っていること。

この試験の受付期間は昭和25年8月19日から9月2日までなので、この9月2日時点で16歳かどうか、18歳かどうかがポイントになるのです。

そうなると高校3年生・中学3年生でおおよそ8月生まれまでの人は受験でき、それ以降の人は受験できません。

この点、
現代の受験要綱であれば大体このような文言になっています。↓

受験資格
試験年度3月までに高等学校または

中等教育学校を卒業する見込みの者
(海保校4月入校・海保大本科の例)

このように一部受験生に不公平が生じるのは、第1回試験ならではの混乱と言えるかもしれません。

しかし、それ以上に早急に職員を採用しなければいけない海上保安庁の事情もあり、それはまた後述します。

学歴または学力

改めて受験資格を眺めてみると、高等商船卒業者に高い地位が与えられることがわかります。


高等商船学校は大型船・外航船の船員を養成するための国立学校のことであり、東京と神戸そして清水に所在していました。

終戦間際の1945年(昭和20年)4月に3校が統合され、一つの【高等商船学校】という組織になっていたという経緯があります。

かなり複雑な経緯をたどる高等商船の歴史ですが、高級船員の養成という伝統は現在も東京と神戸の2校に継承されています。

・東京高等商船学校→現在の東京海洋大学海洋工学部
・神戸高等商船学校→現在の神戸大学海洋政策科学部

なお、海上保安大学校が開校するのは第1回試験の翌年1951年(昭和26年)6月11日。

当初は東京都越中島に仮校舎を置き、さらに翌年1952年(昭和27年)に現在の広島県呉市に移転し、本格的な開校を迎えます。

防衛庁-本文.indd

digidepo_1282606_po_bulletin_j10_2_3.pdf



西暦
和暦
戦後
年齢
日付できごと
1945年
昭和20年

0年後
13歳
06.15
08.06
08.09
08.14
08.15
08.30
11.30
12.01
大久保武雄、中国海運局(広島市)赴任
広島、原爆投下
長崎、原爆投下
ポツダム宣言受諾通告
玉音放送・終戦
ダグラス・マッカーサー厚木到着
海軍省廃止
第二復員省発足
1946年
昭和21年

1年後
14歳
06.14
06.15
07.01
11.03
第二復員省廃止
復員庁第二復員局発足
不法入国船舶監視本部設置
日本国憲法 公布(→文化の日)
1947年
昭和22年

2年後
15歳
05.03
07.01
08.02
10.15
日本国憲法 施行(→憲法記念日)
独占禁止法施行・公正取引委員会発足
『あたらしい憲法のはなし』発行
復員庁第二復員局廃止
1948年
昭和23年

3年後
16歳
01.01
05.01
05.12
08.20
10.??
改正民法施行
海上保安庁発足
海保庁舎屋上に庁旗掲揚
巡視船 紅線二条制定
『民主主義』上巻発行
1949年
昭和24年

4年後
17歳
08.??
10.01
12.07
12.12
『民主主義』下巻発行
中華人民共和国 建国宣言
中華民国政府、台北に首都移転
【宗谷】、海上保安庁に編入
1950年
昭和25年

5年後
18歳
05.10
06.25
08.10
08.17
09.08
10.17
巡視船コンパス章制定→4/1遡及適用
朝鮮戦争勃発
警察予備隊発足
第1回海上保安庁職員採用試験 公告
第1回海上保安庁職員採用試験 実施
掃海船MS14号触雷
日本史・海上保安庁史年表

コメント

タイトルとURLをコピーしました